全身落語家立川談志の魅力
「談志ひとり会」が1年ぶりに4月から再開される。それに先がけてのデモンストレーション、番外編の立川流落語会が有楽町マリオンで行われた。まだ寒さの残る3月末、私は薄手のマフラーにコート姿で朝日ホールに駆け込んだ。既に仲入り(休憩)になっていて、談志師匠は入り口脇のテーブルでサインをしていらっしゃる。「師匠遅くなってすみません。本日はおめでとうございます。これ楽屋見舞いです」とお酒の入った紙包を持ち上げると、それには目もくれず「そんなものはいらないよ」といつものらしい挨拶が返ってきた。中入りが終わり後半が始まる。会場は一杯のお客様で立ち見の有様だ。志らくさんが短い噺を軽くやった後、いよいよ家元の出囃子が鳴り始めた。何度も繰り返しているが、そうスグには登場しないのが常だ。
ふと、20年近く前の師匠との出会いを思い出した。横浜の寄席で師匠のヒザ(トリの一つ前)を務めさせてもらったのだが、師匠がなかなか来ない。「談志師匠がまだなので、もう一席」と私が言ったのが気に入らなかったのか、師匠はあの時も出囃子が鳴り続けているのになかなか出ていって下さらなかった・・・・。まだ血の気の多かった私は「すいません。でも精一杯やったんです。お礼を言われるならともかく・・・・」とタンカを切ってサッサと帰ってしまったのだった。普通なら大シクジリになるところだろうが、なぜかその後立川流の落語会にお呼びがかかるようになったのには驚いた。小生意気な言動の人には、自分のことを省みてか、以外に寛大なのである。
さて、ゆったりと高座に坐った師匠は紫色の着物に袴姿、メッシュに染めた前髪も若々しくスッキリと決まっている。正直言って師匠の洋服姿はイマイチだ、多分それは構わず傍にあったものを着ていらっしゃるからだろう。私も演じるネタのことで頭は一杯で、舞台の着物に気を使うのがせいぜい。当日の洋服など着やすければいいくらいのもんだ、考えるのが面倒だから舞台衣裳で朝から出かけたりもする。
さあ高座では、ボソボソとつぶやくような独特のイリュージョンが始まった。「エー、常識に疲れましてねー『別れ』って何・・・・目玉燒、下手投げ、日の丸・・・・間違っていると思ってるから正しいと思わない?・・・・」この助走の部分がキライな人は師匠の客にはならないだろう。私を含めてこれが好きだと感じる人は、「今日はどんなコトをのたまうのだろう」と胸をふくらませ、一言も聞き逃すまいと耳をそばだてているのだ。やがて「らくだという男がいたそうな・・・・」志ん生十八番の「らくだ」にスッと入っていく。

ニクラシイ顔と温かい顔が同居

(パパン)らくだとあだ名された馬さんがふぐを食べて死んだ。馬さんの兄貴分、丁の目の半次に命じられて、くず屋は大家さんや長屋の者たちから香典を集めることになる。生前嫌われていた馬さんが死んだと知って皆は大ハシャギ、なかなか香典をくれそうにない。そこで半次はくず屋に死体を背負わせて大家宅へ。”かんかんのオー、きゅうのれす、きゅはきゅでせぇ・・・・”と師匠は唄いながら、馬さんの死体が踊るところを即興で演じて見せたので会場は「ワーッ」と大喜び。香典が集まって機嫌を良くした半次がくず屋に酒をすすめる。くず屋は酒を呑むと急に好人物から怖い男に大変身。「つげよもう一杯、でねえとカンカンオウを踊らせるゾ」(パンパン)このくず屋の二重人格の演じ分けが実に圧巻だった。師匠がやると異常なリヤリティがある。そう、まさに談志師匠そのままなのだ。ピリピリしていてそばにも寄れない時や、子供のようにカンシャクを起こしているかと思うと、想像も及ばぬほどの優しい一面を持っていらっしゃる。
数年前、私がNHKの生放送で絶句したことがあって、ショックで自身を喪失していると、雑誌の対談相手に指名して下さり「オイ、お前やらかしたんだってナ、何秒だ、45秒?そうか。俺は民放で2分30秒の記録を持っているんだゾ。悔しかったら抜いてみろ。」と、談志流の皮肉をこめて励ましてくれた。有り難くてうれしくて涙が出た(師匠はきっと忘れているだろう・・・)。ま、そんなわけで、師匠はニクラシイ顔ととてつもなく温かい顔の両極端が同居しているのだ。その間をうめるために「落語」をやり、講談、浪曲、映画、デキシィなどの「芸」の虜になってのめり込んでいるのだろう。と、談志流に理屈をこねてみた。16歳で入門、29歳で『現代落語論』を書き、古典落語の談志化の集大成として『立川談志独り会』五巻にまとめられた。現在61歳「お前たちの望むように演じてやるものか」とお客をつっぱねておいて、カーテンコールではお客の帰っていく姿をいつまでも見送っている。冷血漢で熱血漢。その不条理が最大の魔力である。「全身小説家」ならぬ「全身落語家」の行く末が楽しみでならない。