講談天風伝誕生の巻
私、只今、新作講談「中村天風伝」を創作中です。
中村天風さんって、ご存じですか?
一昨年あたりからブームになり、その関連本が売れ続けている知る人ぞ知る「世紀の哲人」なので あります。なぜこの天風さんを講談にしようと思ったのか、それは次の三つの偶然が重なったからです。
1.天風さんは私の出身校、福岡の修猷館の大先輩にあたり、過去に創った「修猷館物語」の中でエピソードを語ったことがある。
2.私が担当する老齢問題のラジオ番組「神田紅のウェルエージングアワー」(ラジオたんぱ)のゲストに、天風さんの本を多く出版している松本幸夫さんが出演して、天風さんの教えについていい話を聞かせて下さったこと。
3.天風先生の最後のカバン持ちを務められた佐々木将人さんを友人から紹介されたが、天風哲学の実践者 としてスケールの大きい方だったこと。
それで天風さんの波瀾万丈の生涯を語るのはこの私を置いて他にいないと覚悟を決め、新作発表の日を 先に決めてしまったのだ。そうでもしないと、なかなか新しい作品は創れないのです。
まず数冊の資料本を読みあさる。つぎにそれらをまとめながら台本を書き始めるのだが、寄席や営業で地方 に行きながらの作業のため、いつも3日前くらいから慌てて始めることになる。切羽詰まらないと書き始め ないのは本当に悪いクセだ、反省!
天風さんは日清日露の戦争中「軍事探偵」となって中国大陸で大活躍、人呼んで「人斬りの天風」と異名をとるほどの強者になっていったのですが、30歳の時突然喀血、当時の死病「肺結核」と診断され ガクゼンとしてしまう・・・・。その後の天風さんの苦悩と欧米への彷徨、失望の中で生涯の恩師、インドの ヨガの大家カリヤッパ師との出会いの場あたりが最大の盛り上がりで・・・・病気に苦しむ天風さんをどう 描いていこう・・・・と考えていると、私まで具合が悪くなってきた。10年来の花粉症に加え、カゼもひどく なって最悪のコンディション。
「こりゃ、ヤバイぞ、発表までアト2日、何とか健康を取り戻さなくてちゃ・・・・」ふと資料本に目をむけると、カリヤッパ師が天風に向かい「『大丈夫、すぐ治る』と言いなさい」と書いてあった。 私はワラをもつかむ思いで「カゼはすぐ治る。私は元気。すっかり大丈夫」と繰り返し何度も口に出して 言ってみた。すると、アーラ不思議。カゼは小康状態を保ち、残り2日で講談を何とか書き上げることが 出来たのです。「天風哲学」はスゴイ。ならばついでに、心のショックを和らげるクンバハカ法も練習することにした。だって講談のネタ下ろし(人前で初めてやること)で失敗しても、クンバハカ法があれば落ち 込まなくてすむ。そうですよね、天風さん!