お初にお目にかかります
本日から聞いていただく新連載。女講談師の私の目から見た 面白おかしのお話や、魅力あふれる芸人さんをご紹介していきたいと存じます。
題しまして「なんだかんだの紅ばなし」。よろしくお付き合いのほどお願いいたします。
(パン)「こちらは講談界の重鎮、神田山陽師匠です」
紅「はあ、あ、確かテレビで将棋の解説かなんかおやりの方ですよね」
師「ハハハ・・・そうですが将棋は趣味で、本職は講談です」
紅「ハア・・・あの講談って何ですか?」これが初めて師匠に会った時の会話。
「講談と聞いて」公団住宅を連想し、「重鎮」と言う言葉が重く響いて、なぜか文珍さんの顔を思い浮かべ たりしていた。あれから19年の歳月がアッという間に過ぎて、あのとき69歳だった師匠も今年は満88歳を迎える。70代までは駅の階段をポンポン二段上がりしていたスーパー元気の師匠も、寄る年波には勝てず、今では杖 を頼りに何とか歩いていらっしゃるご様子。
この間の2月26日、国立演芸場での山陽一門会に、このところリハビリ中だった師匠が久しぶりに元気なお 姿を見せてくれた。NHKの衛星放送の録画撮りで、師匠の最後の高座姿となるかも知れないと危惧しての催しだったが、どうして、この「最後の」のうたい文句も最近では「狼が来る」現象と化しているのだ。「山陽師匠の芸も、この舞台が最後かも知れません。ぜひお見逃しなく」「アラ、この間もそんなこと言っていたけど、師 匠はお元気じゃないの」そうなんです。去年の4月の国立演芸場での一足早い「米寿を祝う会」の時も、門弟たちはそろそろと覚悟を決めてはいたんです・・・。師匠はそのたびごとに、その会を目標に厳しい食事制限につとめてリハビリに耐えて、不死鳥のごとくよみがえっては私たちの思惑を見事に裏切ってくれる。だからもう「これが最後」は通用しなくなった。これからはこの間の口上の時に兄弟子が使った「生きる化石」が一番ピッタリしてきた。
(パパン)「・・・・さんざんっぱら苦労させられた揚げ句に今度は女狂い、あたしゃもう我慢できないよ。 明日んになったら出て行くからね。」「ああ、どこえでも行きゃあがれ」「出ていくかわりにゃあ、お前さん、 百両もらっていくよ。サ、お出し」「てやんでぇ、何で百両なんて出さなきゃならねぇんで」「出さなきゃなら ないいわれがあるから言ってるんじゃないか。お前さん、萩原様のお札をはがす時に幽霊から百両もらったじゃ ないか」

年齢に関係なく芸ある人が美人

師匠が考え出した立体講談は、役分けをして語っていく芝居風講談だが、この「牡丹燈籠」の「栗橋宿」では、師匠と夫婦役を百回以上もやらさせていただいた。女房のお峰に、女が出来たことを問い詰められる伴蔵役の師匠は、この後、心からすまなそうに頭を下げて必死で女房のご機嫌を取る。こういうところが師匠の絶妙のウマサだが、それもそのはずで若い頃の実生活そのままらしい。大金持ちの本屋のお坊ちゃまとして生まれ、 家業を継いだものの、財産はダンススタジオや講釈場の再建に湯水のように使い、カフェーやお座敷遊びに興じ た果てに、ダンナ芸だった講談が生業になったそうで、おカミさんの苦労は大変なものだったらしい。まさに「太鼓持ち上げての末の太鼓持ち」となった人生だが、女遊びの手練手管はそのまま女弟子を育てることに見事に活かされたのだ。その操縦法は誰にもマネの出来ない名人芸なのである。
師匠のもとには男の弟子も8人ほどいるが、すたれはじめた講談界を活性化するためには女流を育てるしかないといち早く思い、それを実践した功績は大きい。現在、東京に講談師は45人ほど、うち19人が女流で、女流 ファンは確実に増えている。「舞台ではねぇ、年に関係なく芸のある人が美人なんだよ」とは、私を含めそろそ ろトウが立ってきた女芸人を励ます師匠ならではのおコトバ。ありがたくて杖代わりに師匠の手を取ろうとしたら、隣にいた一番若い妹弟子の手を借りて急にヨロケてみせ、ニンマリ笑って行ってしまった。