ジュンペイと久しぶりのふれあいの巻
9月29日、新宿のスペースゼロで「全労済40周年」の祝賀イベントが催され私は司会役。そこでゲストの中村雅俊さんに、久しぶりに会った。いつまでも変わらず若々しいのには驚かされる。彼と私は、文学座(故杉村春子さんがいた)の研究生時代、同期生だった。今でこそ「スター」として安定し、裕福で幸せそうな雅俊さんだが、その頃はヨレヨレのGパンにTシャツでインスタントラーメンばかりを食べていた貧乏学生だった。仲間は彼を「純平」と呼ぶ。何でも「ジュンペイ」と「マサトシ」の二つの名が、生まれた時に候補に上がったそうだが「マサトシ」が採用され、残った名前にも愛着があったので、こちらはアダ名になったという話を聞いた覚えがある。
「慶応のエッサッサで、演劇をやったンス。その時主役で人気がでちゃって・・・芝居でもやってみようかって」「エッサッサって何?」「ESSのこと。英語クラブのことッスよ」これがジュンペイと会話をかわした最初だ。ほんの憧れで慶応大学を中退して文学座に入ったというが、190センチ近くの長身に甘いマスク、たちまち同期生の女の子達の注目の的になった。打ち上げの場では、いつの間にか彼の周りには女の子が集まっている、そこで彼はボロンとギターをかき鳴らして得意のノドを聞かせていた。私はと言うと、早稲田大学で学生演劇をかじった頭デッカチの「演劇少女」。「舞台俳優になるには、何と言っても基礎が大切、スタニフラスキーシステムよ」なんてイキがっていたが、彼の存在はまさにカルチャーショックだった。「演技だの基礎だのって関係ないんじゃないのかしら。ジュンペイのあの輝き・・・誰にでも好かれるあの人間性・・・スターの要素はきっとこれだわ」(パパン)かくして私のカンは大当たり。研究生になって半年後、ジュンペイはテレビの「先生シリーズ」の主役に抜擢され、その後着実に「スター」の階段を登って行った。